電気ケトル

2019年4月、6年間の学生生活を終えて社会人となった。この日まで長らく実家で暮らしていたが、会社の寮に入ることになる。

寮の部屋にあるのは少し大きめのクローゼットとベッドだけ。他はすべて他の寮生と共用だ。トイレも洗面台も風呂も。残念ながらキッチンはない。

ペットボトルや缶の飲料を買う習慣は僕にはなく、飲むのはいつも薬缶で沸かした3Lほどのお湯に伊藤園の麦茶パックを3つほど入れて作る麦茶だった。冷たい飲み物はあまり好きではなかったので夏は常温で飲み、冬は保温ポッドに入れておいたお湯を混ぜて飲む。出かけるときはTHERMOSの水筒に入れて持ち運んで飲んでいた。

寮でのひとり暮らしを始めてからもこの習慣を変えるつもりはなかった。自分の稼ぎが得られるようになったとはいえペットボトルの飲み物を買う気にはならない。高校生の時から10年近く使い続けているTHERMOSには愛着があったし、これからも使い続けたかった。

だけど変えなければいけないこともあった。残念ながら寮では実家のようにキッチンのガスコンロで薬缶の水を沸かすことはできない。どうすればいいか少し考えたが答えはすぐに見つけた。電気ケトルだ。大学院の研究室にもあったやつ。

何かを買うときはある程度調べてから買う質(タチ)なので寮の食堂に飛んでるwifiに愛用のSONY VAIO S13を繋げてググる。速度は遅いし、食堂でPCを開くのは嫌だけど、まだネット回線の契約はしていないので仕方がない。

少し調べてT-falの電気ケトルを買うことにした。「あっと言う間にお湯が湧く」というコピーは聞いたことがあるし、値段も手頃で、レビューを見た限り悪くない製品のようだった。最後まで迷ったのは蓋が取り外せるか一体のものかだったけど一体型にした。水しか入れないものがそんなに汚れるはずがないし、蓋を取り外して洗浄したいと思うことはめったにないと考えたからだ。大体いちいち水を組むときに蓋を外さなきゃいけないのは面倒だろう。

そうしてT-falのAPRECIA+を買うことに決め、電気屋に行って実物を確認、良さそうなので購入した。

やっぱり便利なものでガスで沸かすよりも早いしプラスティック製の本体はお湯が沸いたあとも火傷するような熱さにはならない。蒸気を検知して自動でスイッチも切れるから沸かしっぱなしになる心配もない。唯一気に入らなかったのはお湯を注ぐと必ず注ぎ口から垂れること。毎回タオルで拭わなければならなかった。

ニトリで2.7Lの薬缶を買ってこれにT-falで沸かしたお湯を入れる。そこに伊藤園の麦茶パックを2つ入れれば実家にいたときと同じように麦茶を作ることができた。T-falの容量は0.8Lなので3回くらい沸かす。家にいるときは薬缶の麦茶を飲み、会社にいるときは学生の時と同じように THERMOSに入れた麦茶を飲む。

週末は珈琲や紅茶をいれるためのお湯をT-falで沸かす。保温することはできないので冬場は何度もスイッチを入れた。多いときは1日に10回は取っ手についたスイッチを親指でカチっと音がするまで傾けた。

そうして3年半ほど使い続けた2022年の秋のある日にお湯の中に白い粒が混ざっていることに気づく。最初は水道水のミネラルが固まったものかと思ったがどうもそうではなかった。T-falのプラスティックが劣化してボロボロと崩れ、それがお湯に混じったものだった。

T-falをよくよく観察してみると蓋や容器の縁の部分が剥がれている。特にひどいのは注ぎ口だった。内部にも剥がれたあとがある。材質はポリプロピレンで分子量が大きいので飲んでしまったところで別に体に害はないが…。

だけどそのうちに白い粒の量も多くなり、注ぎ口の蓋を支えている部分が崩れてなくなってしまったので、注ぎづらくなった。湯沸かしの機能は何一つ壊れていないがもはやこれまでと思い買い換えることにした。

同じ製品でも良かったがせっかくなので別なものを試すことにした。また調べて今回はタイガーの電気ケトルに決めた。ステンレス製も検討したが、容量の大きいものしかなく蛇口の位置が低い寮の洗面台で給水するのは難しかった。DeLonghiの電気ケトルなんてお洒落でよかったけどね。タイガーの電気ケトルはロック機構があるので蓋の部分が分厚くT-falと同じ高さだったが容量は0.6Lとなった。

ヨドバシカメラで注文した二日後に届いた。外観はT-falに似ている。スイッチの位置は同じだがT-falは蓋方向に傾けるのに対してタイガーは取っ手方向に傾ける仕様だった。0.6Lは想像よりもだいぶ少なく見えた。これからは麦茶を作るときは4回沸かす必要がある。蓋は取り外し式。プッシュボタンでロックできるので倒してもお湯がこぼれにくいし、魔法瓶ではないけど沸かしたあとも冷めにくい。出力は1300WとT-falよりも50Wだけ高出力。タイガーは蓋やパッキンを単品で買えるのである程度長く使うことを想定してくれているようだった。

早速沸かしてみるとだいぶ樹脂のにおいがきつかった。T-falも最初はこうだったろうか。そのうちにおいはしなくなるのでそれまでは我慢するしかない。注ぎ口はかなり工夫されていてお湯の切れがよく注いだあとに垂れることがない。

年末が近づき日に日に寒くなる12月の週末、タイガーで沸かしたお湯で珈琲をいれる。大好きな珈琲の香りをかぎながらもうお湯を沸かすことはないであろうT-falを見つめる。3年半の間僕のために毎日お湯を沸かしてくれたT-falには愛着もある。お別れは寂しいがいつまでも置いてはおけない。ありがとうT-fal。

珈琲を飲み終わったあと、空になった薬缶をお湯で満たすためにタイガーに水を汲む。3年半T-falがいた場所にタイガーを置いてスイッチを取っ手側に傾けた。

エッセイ

Posted by mugsimon